一度も来たことも、言葉も通じない、誰も知り合いのいない街メルボルンに来たのは高校卒業後。飛行機を降り立って最初の一歩は今でも忘れられない。“寒い”という一言。
そんな“寒い”から始まった大学留学。今、思い返すといろいろなことがあり、いろいろな経験を得たものだと感じています。
-留学にむけて-
留学を決意し始めたのは高校2年生の時。理由は人とは違う経験がしたい。同級生は日本の大学に進学し、その経験は話でも聞ける。でも、周りで誰も経験のない海外での大学進学もありかと思っていました。
また、“日本を外(海外)から見てみたい”というのも留学を志した理由のひとつ。
留学先を決める際はとても簡単な理由で国を絞った。イギリスは高いし、寒い。カナダは寒い。アメリカは高校の時に行ったし、ニュージーランドは田舎。そんなステレオタイプでオーストラリアに決めた。
次に都市を決める。オーストラリア北部(ケアンズ、ブリスベン等)は観光地で暑そうなのでやめ、シドニーは都会、アデレードは直行便がない。
この訳のわからない選び方からパースかメルボルンに行こうと決めた。
さて、ここから留学準備で大変だった。
大学を選び、入学許可を取ること。最初はエージェントを使わず、雑誌やインターネットを駆使し、いろいろな大学にコンタクトを取った。やりすぎたなと思うのはとあるパースの大学に日本人の先生がいてその人に直接連絡を取ったこともあった。
その後、Deakin Universityと運命の出会いをしました。高2の終わり、オーストラリア大使館でのメルボルン大学の説明会に参加した。
メルボルン大学の代表オフィスであるMelbourne Education Centreの方にお会いし、後日オフィスにお伺いし、メルボルン大学に入学願書を出そうとした。その際、来日中のDeakin大学付属英語学校の校長に 就任したばかりのBen Stubbs校長にお会いし、このオフィスもDeakin University日本代表としての初めての生徒を探していると聞いた。
これがすべての始まり。そこから今まで苦労して探していた大学探しが嘘だったかのように話がポンポンと進んだ。
そして気付いたら、メルボルンへ“寒い”の一言と大学留学の最初の一歩を踏み出した。
-メルボルンへ-
到着したその日、大学の空港送迎バスに乗り、ホームスティ先へと向かう。いったい、このバスは今どこを走っているかもわからない。
運転手がここだと言われ重たいスーツケースと共に新たな新居をノックした。ノックしたがここではないといわれ、向かいの家に連れられる。
そうするとホストファミリーがあたたかく迎え入れてくれた。
すぐにスーパーマーケットに連れられ、最寄り駅に行き、電車の乗り方、メットカード(電車、トラム、バスの使える切符)を買い、そしてオーストラリアでの初めての夕食を食べた。
この国の人たちはポテトを主食にするのだと思った。次の日の主食はお米。なんとバラエティーに富んだ国なのか。さすが多文化都市と思った。
初めてシティーに行く。街は活気があふれ、その中でも落ち着いた雰囲気の古い建物たち。
近代建築との異色のコラボレーション。そして何と言っても街行く多くの人がおしゃれだったことに驚いた。オージー=Tシャツ+ジーパン+サンダルの方程式を覆されたような気分だった。
-大学進学へ向けて-
Deakin大学は語学学校からのパスウェイ制度がある。この制度は語学学校の一定のレベルまで行けば大学、MIBTへの進学を可能にしている。
語学学校は大学のコースについていけるよう毎日、エッセーの書き方、プレゼンテーションの発表の仕方、ノートのとり方をみっちり勉強した、僕が Deakin大学付属語学学校に入学した際、日本人はいなかった。が、多国籍のクラスメイト、親身になって勉強を支えてくれる先生、スタッフに囲まれて充 実した時間を過ごせた。
その後、大学に進学するためにDeakin大学と提携しているMIBT(Melbourne Institute Business & Technology)のDiploma マス・コミュニケーションに進学した。
そこではDeakin大学の1年生課程を履修した。いよいよ、大学での勉強のスタート。
やはり、語学のハンデを物すごく感じた。専攻がマスコミということもあり、読み書きの力が必要になった。どれだけ頑張っても、語学のセンスはすぐには上が らない。英語がネイティブのクラスメイトには敵わない。どれだけ先生に語学力を否定され、語学学校をもう一度やり直すことすらも薦められたという悔しい思 いもした。
そんな中、クラスメイトが僕の文法、そして表現を訂正してくれた。一つ一つわからないことは友達や先生に聞き、親身になって助けてくれた。
-学部へ-
ディプロマのコースを終了後、大学の2年生へ編入した。学部はメディア&コミュニケーション、専攻はもちろんジャーナリズムと紆余曲折の結果選んだフォトグラフィーである。
オーストラリアの大学のよいところは専攻を一つだけではなくいくつもできるということ。2つであれば履修期間内で2つの専攻が取得できる。
大学はやはり僕だけが留学生というクラスも多々あった。ただ、同じ夢、興味、目標を持ったクラスメイトと共にいろいろなものを共有し合いすごく有意義な大学生活を過ごせた。
授業は実践的。先生は実際にジャーナリストとして世界を渡り歩いた人、フォトグラファーとして世界的に活躍した人等、実際にその現場を体験した人が 先生だった。このような先生が的確に学ぶことができた。Deakin大学はオーストラリア内でもプラクティカルな大学として有名。
また、授業は覚えるものではなく考えることを大事にしていたように思える。覚えることは予習としてテキストや本を読み。授業ではディスカッションが 多く、日本のことも聞かれることもあったが、それ以上にバックグラウンドが違う考えが欲しいと言われあてられたことが多かった。時には先生に目をつけられ て連続であてられることも・・
クラスメートと
コンピューターで共同作業 授業の合間は友達とカフェで団欒か、課題をやっていたように思える。
課題が多く学校の24時間完備のコンピューター室に泊まったこともあった。この大学の一番好きなこととして、緑が多く、建物もその環境と共存できるように設計されているところ。その中でのカフェでのひと時はリラックスできた。
先生、そして友達に一番勧められたこと。それは、大学生の間に専攻に関係した仕事、バイトそしてインターンシップをすること。やれることはしよう!と思い、某テレビ局と何度かお仕事をさせていただいたり、日本に一時帰国した際にプロ写真家のところに弟子入りをしたりした。
また、運がよいことに大学の交換留学のセクションで働くこともできた。
この交換留学のセクションで働いたことを通して、英語という言語の素晴らしさ、そして留学することの素晴らしさを再度認識できた。メルボルンに来てまだ 1、2週間以内のStudy Abroadそして交換留学の生徒が英語という共通の言語を使い、仲良くなっていく。海外で働くことの素晴らしさを感じられた。
写真に関しては、賞も頂いたこともあった。雑誌等の写真を撮る仕事が入ることもある。手に職がある専攻、経験をするといろいろと経験することができた。また、個展を何度か開かせていただいている。写真のホームページは HYPERLINK “http://fotologue.jp/norikoizumi” メルボルンの写真もあるのでご参考に。
留学経験を糧に就活中 ―卒業後―
卒業が決まり、せっかくこちらで学んだのだからその経験を活かしてメルボルンで働きたいと大学2年生の時から思っていた。
自分にしかできない、英語や日本語だけではなく、自分にプラスの職業を考えたとき。マーケティングコミュニケーションの仕事に興味を持った。この職種はパンフレットやウェブサイトなどを作る仕事。
また、大学での仕事の経験、そしてDeakin大学を日本にそして世界に宣伝したい。この大学に留学してくる生徒たちの何かしらの助けをしたいと思い、今、大学、学校関係で仕事を探し中。
やはりビザや言語、そして職種での経験の問題がつきまとってきます。特にオーストラリアは経験のない人は就職が厳しいのが現状。職業に関係した経験 を積めるだけ積むこと、誰にも負けないもの、ほかの人とは違うものをDeakin大学で手に入れたと信じて、就職活動を頑張っているところです。
―留学を考えているみなさまへ-
留学は僕にものすごいプラスと掛け替えのない経験を与えてくれたように思う。英語力だけではなく、自活力、向上心を与えてくれた。
僕が留学で一番大事にしていた言葉は“Active”。いろいろな人と触れ合い、いろいろな経験をし、いかに積極的に行動するかだと思う。
勉強に関しても、いかにアクティブに楽しく勉強するかが大事なような気がする。
友達を作ることに関しても積極的に話しかけ、仲良くなった。
仕事経験もたくさんし、将来のことについても考えることもできた。
やってみないとわからない。それが留学だと思っています。
体験談掲載日:2010年1月5日現在










